わたし=わたし
魔の3週間。
365日(366日)の中で1番深く重たいその3週間は毎年必ずやってくる。
私は10/2に産まれている予定だった。
そこからなぜだか分からないが予定を大きくずらし、3週間を母のお腹でぬくぬく過ごし、10/23に産まれた。
(私は出産の細かいことは知らないけれど、今とは違って3週間赤ちゃんがゆっくりしててもなにも言われなかったようだ。たぶん。)
心が忙しい。深く重たい気分になる。
生と死についてひたすら考えている。
それが毎年この時期だと気づいたのは10年くらい前からで、正直普段から生と死については考える時間も多いし、重たい気分になることもある。(去年鬱と診断されてからは尚更。)
だけど、この時期のは全然比べものにならない。普段は気合いやら我慢で乗り切れる事も【出来ない】のだ。
なにも出来ない、考えられない、黙っていたら涙が出てくる、苦しい、息もきちんとできない、、とにかく憂鬱、無気力、空っぽ、そのものだ。言葉を自分自身の身体という入れ物を持って体現しているような。
私には精神安定剤というパートナーがいるから持っている時は少しだけ心強く安心だが、精神安定剤には(もちろん他のお薬にも言えるけれど)副作用もある。
欲という欲を抑え込むのだ。
飲めば飲むほど、体がどんどん何かをしたいという気持ちや欲望を失っていくような、そんな気分になる。落ち着いているというより、どんどん無になっていく感覚。
それが怖くてこれ以上薬を強めることを恐怖に感じてもいる。
落ちている時の自分はまるで私の形をしたただの入れ物で、そこにはなにも入っていない。
今の環境から抜け出してしまえ
変えてしまえばいいじゃないか
我慢しろ
そう言われることも多い。
そんなこと出来たらとっくにやっていて、そこから抜け出すにはまたそれに対しての労力が必要で、でもそんな力は出す気持ちにはなれない。だったらこの入れ物を消してしまう方が楽。そう思う気持ちもよく分かる。
ここ最近のニュースはとても悲しくて、たくさんの輝ける人達が空で星になった。
いろんな憶測や話が流れた。
本当の理由なんて本人にも分からないのに。
もし、もしも今後あなたの周りの大切な人が居なくなっても、決してその人を責めないで。
その人が選んだ選択がなにであれ、それはその人の人生で終末だ。
選択する権利は本人にしかない。
そしてその大切な人が痛みや悲しみや抱えてるものに気づかなくても自分を責めないで。
そういう人たちは大抵とてもとても頑張って隠しているものだから。深いところの本当は、本人にも気づけないことだったりするから。
そしてもし、そんな話を受け取る日があれば、ただちゃんと聞いて欲しい。
否定をせず、アドバイスもせず、真っ直ぐ聞いて欲しい。
ただそれだけでとても救われるから。
ただただそれだけで溜まっていたものが溢れ出すこともあるから。
手を差し伸べることはない。
優しい眼差しだけで充分だ。
優しい言葉もいらない。
受け取ってくれるだけで、聞いてもらえたというだけで。
きっとそれだけで、充分、充分嬉しい。